[Reivew]: 無限論の教室

📅 公開: 2007-03-26

「我思うゆえに我あり」と考えた人は「無限」をどう解釈したのだろうと立ち止まり、それから「無限とは何を表現しているのだろう」と泥沼にはまりかけたので手をとった。「やっぱり、”無限”を考える資格のある人とそうでない人に峻別されるな」と得心。私は後者。だって、そもそも「無限とは何を表現しているのだろう」という問いが問いですらなく、そこから解へ導く「仕方」を身にまとえていない。これでは堂々巡り。

舞台は大学。もっとも人気のない無限論の講義を受講する男女の学生。教室にはその二人しかおらず、そこから話が始まる。登場人物は3人。先生と男女の学生。「無限とは何か?」を小説のようにすすめていく。

「無限は数でも量でもない」

と言われたときびっくりした。数学も哲学も無知な私には、数学が証明する「無限」も哲学が論考する「無限」もどちらも到底理解できない。以下の目次、各タイトルだけで「クラクラする」人もいれば「よだれがでそうな」人も。私は、第七・八週あたりがきつかった。まったくわからなかった。

「自然数は定義上数え尽くせないものである」と言われたらどう反応します?

「線分が無限個の点の集まりでできている」と答えたら、「それ、すばらしく愚劣な答えです」とユーモアたっぷりに返答されたり、「自然数と偶数はどちらが多くあると思いますか」と質問される。息つく間もなく、「多く」ではなく、集合には「濃度」の概念が存在する。

濃度って一体何だ(数学に濃度って…..)?!

こんな感じで読み手を引っ張っていってくれる。部分集合・全体集合からやがてラッセル集合へと進み、自己言及のパラドクス が織り交ぜられ、やがて終章、ゲーデルの不完全性定理 へと到達。

いやはや、二千年以上前から地層のように重なってきた叡智がしたためられている。可能無限と実無限を最初に区別したのはアリストテレスのようで、人はひょんなことから「考える」を身にまとった瞬間から「神様のチェス」 を横から覗く運命にあったのかと感じた。

いや、まったくわからない本もすがすがしい。でも一つだけわかったことは、いくつになっても勉強しつづける気力を失いたくないし、現に勉強できる環境へ感謝。