生命保険がギャンブルであろうとも

📅 公開: 2007-05-08

「生命保険は悲惨なギャンブル——ヤクザのばくち場は、一番公平!?」 を一読して、本書を思い出す。

海外の先進国の保険加入率は通常5割程度。9割を超える日本の加入率の高さは明らかに異常である。[…]保険の正体とは何か。ファイナンス的に言ってしまえば、それは「自分が死ぬほうに賭ける」という意味の賭けである。しかも、死んでしまったほうが勝ちというなんとも悲惨なギャンブルだ。つまり私達は保険料を払ったとたん、保険会社という巨大な胴元に手数料を抜かれる、損な賭けに参加したことになるのだ。

「生命保険が宝くじ」というファイナンスリテラシーは、橘 玲 さんの書籍に姿形を変えて幾度も登場する。なかでも本書の生命保険のくだりは、他の著書に散見される”解説”ではなくおおざっぱな考え方が述べられているので印象深かった。

生命保険というのは、身も蓋もない言い方をするならば、宝くじの一種である。保険料は宝くじ代金の分割払いであり、自分が死ぬと保険金という名の賞金が支払われる。さらに、一般の宝くじ同様に、生命保険の場合もほとんどの人は損をする。おまけに経費率が高いので、ギャンブルとしては救いがたいほど魅力がない。だが、抽選に外れたということは自分がまだ生きているということだから、文句を言う客はいない。

『雨の降る日曜は幸福について考えよう Think Happy Thoughts on Rainy Sundays』 橘 玲 P.38

保険活用の原則は、

と指摘する。でも、ここで見落としていることがひとつ。

日本は世界でもっとも豊かな社会の一つである。たいていの場合、残された家族は、夫婦どちらかの実家や親族の経済的援助で、これまでと同レベルの生活を維持できるだろう。遺族年金や死亡退職金も含めれば、こうしたケースでは生命保険はほとんど必要ない。

『雨の降る日曜は幸福について考えよう Think Happy Thoughts on Rainy Sundays』 橘 玲 P.40

是々非々が論じられるのだろう。ファイナンスリテラシーに乏しい私は何がほんとうか皆目わからない。ただ、自分の死後まで考えたくないし (もとい、思考不能)、パートナーは自分で何とかするだろうと思いこんでいるので、1本だけ加入してあとは何も入っていない。

ひところ読みあさった。今も適当な間隔を置いて読み続けている。当初は、「ファイナンスリテラシーを身につけたい」と切望して乱読した。いわば「立ち位置を決める」のが目的だった。だが今は違う。ファイナンスとはかけ離れたところで自分の「立ち位置」が朧気に決まってきた。すると、それにつられてリテラシーを身につける手間暇が疎ましくなってきた。

「立ち位置を決める」ために読むのか、「立ち位置が決まってから」読むのか、このあたり百家争鳴なのだろうけど、私はどちらでもいいやと思えてくるようになってきた。

なんだか、一周してぐるっと戻ってきた気分。嘆息。