年の功と気配り

📅 公開: 2008-06-24

あるときは年の功で、あるときは暴走老人! だったり、老人がフォーカスされる。

「接客が見事なこと」がわかって採用方針を見直したところ成功した。この事例はときおりメディアでとりあげられている。シマッタなぁ、思い出していれば先週なら足を運べたのに。自分の目で見たかった。お手本となった70歳の方にお会いして聞きたい。源は?

**「お客と接するのが好き」「若い人と働きたい」**のも源のひとつなのかな。お客と接するのが好きだから接客が見事になったのか、接客するようになってお客と接するのが好きになったのか、あるいは気配りは親のしつけだったのかなどなど。興味がつきない。「年の功」だけで片付けてしまうと、なんだかしっくりこない。以前、F先生 からフォーカスグループインタビューを依頼された 。私の役割はファシリテーター。そのなかで強烈に印象に残った老人がいらっしゃった。とてもいきいきとして矍鑠たる老人で笑顔がすてきだった。その方が私に与えた影響は大きい。<blockquote cite=“http://blog.thinksell.net/archives/2004/04/26/181619.php" title=“loaded

– QOL”>ほんとによかった。88歳の女性に、「あなたにとって幸せは?」と聞いて、「今です!」と力強く、笑顔で答えられたのを目の前で見ることができて。

via: loaded – QOL

何かを論じるとき、歳や世代をひとまとめにすると考察しやすい。だけど、それによって見落としてしまう要素もあるのじゃないかと思う。見落としてしまった要素が鍵だったり。ただ、そういう要素は暗黙知ですぐに培養できない。ゆっくり時間をかけて育まれた感性があって、自分自身でもそれに気づかない。それを周囲の人たちが肌で感じとるような。他者が承認してはじめて「形式知」になる。「おいしい」という一声で食事を鮮やかな色で描く人はいる。そんな人と食事をすれば楽しくて楽しくて時間なんて忘れる。食べたモノはしっかり覚えている。不思議だ。

モスバーガーの若い人たちが見習ってやってみたらどうなるだろう? 変なトーンの声でちょっぴり意図的な会話になってしまいかねない。そういう波長を感じとる人はいて、波長がしっくりこないと逆効果も。でもやらないよりやったほうがいい。そう思う。「おいしい」の一言は案外むずかしい。

組織は人の問題をマークシートのように解決できない。存続すればずっとつきそってくる。たいへんだ。だけど、答えのでない問題をみんなでじっくりと解いてゆく根気を失わず、何とか前を向こうとする人たちがいればそこに人は集まってくる。そうあってほしいと願う。

愛読しているブログの一コマ。いつもするどい視点で切り込んでいく姿に感嘆の声をあげていたけど、こちらもすばらしい。相好を崩した。