[Review]: 墜落遺体

📅 公開: 2008-06-27

新装版 墜落遺体 御巣鷹山の日航機123便 (講談社+α文庫)

昨日、クライマーズ・ハイ のレビューを書いた。横山秀夫 氏が自身の記者時代に遭遇した日本航空123便墜落事故 取材の体験をまとめた作品。ただ、「墜落現場」は描かれていない。事故そのものがテーマじゃないから『墜落遺体』 も扱われていない。レビューで紹介した現場雑感、佐山は左手を失った女の子を抱える自衛官を書いた。実際の現場は凄惨を極めた。著者は事故当時、高崎署刑事官在職にて身元確認の班長につく。

完全遺体といっても、潰されて形を失った顔面。前頭部の飛んだ頭蓋。二つに切断された胴体。焼けただれて分解しつつある焼死体。手足がちぎれ、下顎骨がかろうじて首と繋がっている、といった遺体が多い。

そして脳髄は脱出して無い。眼球は飛びだすか、めりこんでいる。肋骨はバラバラに折れ、脊柱も潰れて体が円くなっている。

手足は多発骨折か切断か挫滅創。腰の安全ベルトのせいか、下腹部で切断されているか、大きく破れて内臓が噴出している新装版 墜落遺体 御巣鷹山の日航機123便 (講談社+α文庫)
完全遺体がそうならば離断遺体、分離遺体となると絶句する。遺体(部位も含む)のひとつひとつを丹念に調べ身元を確認していく作業、作業に従事する人々の懸命な働きを克明に記録している。

遺体の状況

事故を風化させてはならない、二度と事故を起こしてはならない、という言葉を加害者が口にしたとき、「絶対そうであってほしい」と同意してむなしさを感じる。日本航空123便墜落事故 から20年後に JR福知山線脱線事故 が起きた。もちろんこの事故だけにかぎらず毎日のように事故は起きている。私はいずれの事故にもテレビを視る側でしかなかった。そんな側から少しでも離れるためにこれからも読み続けたい。

いつ自分も事故に遭遇するかわからない。それだけがわかっていることだから。

私が一日も欠かさず、時には一日に何回も会う遺体があった。会ってことばをかけ、抱いてやらなければその日の作業が終わっても、家へ帰れない心境になっていた。「A列8番」の棺。その中には、幼い女児の頭部だけが寂しく眠っている。首からスパッと切断されているが、顔面頭部にはほとんど損傷もない。顔などはかすり傷ひとつないようにきれいだった。

まるでコケシ人形の童女のように、たまらなくあどけない。小さな唇と、愛くるしいほっぺには、ほほ笑みさえ感じられる。日赤の看護婦さんがやさしく洗い、櫛でとかしてやった黒く柔らかい髪の毛もそのままだ。

「三歳以下の女の子には間違いないよ」と東京歯科大学の橋本。

犠牲者の中に四歳以下の幼児だけでも一四人いた。このうち女児は八人である。私も橋本、木村、新谷ら先生方も、「M・Yちゃん(一歳)に間違いないのになあ」と早いうちから確認していた。それなのにいつもったひとりで棺の中に…..。

私はM・Yちゃんが、不憫でならなかった。帰宅する前には深夜でも明け方でも、必ずM・Yちゃんに「お休み」をいう。そのままM・Yちゃんの目線を私と同じ高さにして、二人の顔がくっつくぐらいの間隔で話す。

「M・Yちゃん、ごめんね。早くお家に帰りたいねえ、もうすぐ帰れるから待っててね、・・・・・おやすみなさい・・・・・」

時には冷たく凍ったM・Yちゃんの額を私の額いつけながら話すこともあった。このころ、「隊長も少しおかしくなったんじゃねえの」二階の観覧席から私の奇異とも映る毎夜の行動を見て、そんなことをいう班員もいたとか。新装版 墜落遺体 御巣鷹山の日航機123便 (講談社+α文庫)