名称「お年寄り」に惑わされる

📅 公開: 2008-12-08

先日、JR鶴橋駅でY先生との別れ際、「身も蓋もない話を身も蓋もなくないように話すことが大切」と言って失礼した。Y先生は、わからないと口したけど。もちろん、僕もわからない。だけど、大切なような気がする。だから、自戒をこめて身も蓋もない話をひとつ。まだ、身も蓋もなくないように書けない。知性を纏っていないということ。

こんな記事を目にした。今に始まった話じゃない。

テレビは広告収入が激減して青息吐息。視聴率をわざわざ減らすようなテーマを取り上げない。「お年寄り」を取り上げない。仮に取り上げたとしても、「急増する老人の万引き」ぐらいか。積極的に巣鴨へ出かけているのかしら、と勘ぐりたくなる。どうやら国民を代表する意見は巣鴨にあるようだ、と僕は納得している。

名称「お年寄り」に惑わされる。お年寄りを頭から削除しよう。若者を眼から削除しよう。目の前にいる人は何者だ? 何者? それを見極める眼を涵養したいと切望する。そのためにふりほどかなければならない概念や基準はたくさんある。

おそらく明治の人は、言っただろう。

「40代といっても、昔と比べ、今は幼稚な20代に見える人が多い。子供のころからぬくぬくと育ち、見た目だけでなく、中身も20代の人がいる」

と。

否、ローマの人は、言っただろう。

時間が短く、空間が狭い人の言葉に苛立ってはいけない。冷静に。目の前を見よう。見えてないものを死にものぐるいで見たい。

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