右肩上がりの予算

📅 公開: 2008-12-10

昨日、JR KYOTO ISETAN の10Fにある京都拉麺小路 で打ち合わせ。カフェの席。17:00頃に伊勢丹のエスカレーターから上がっていき、19:30頃に降りた。深刻に近いニュアンスがあてはまるのかな。平日を差し引いてもちょっとなって感じ。

1Fでは接客できない従業員が何人も立っている。正社員か派遣社員か判別できないけど、目の前の人たちだけなら微々たるコストだろう。だけど、計算を全店舗に展開すれば、利益を痛打するコストまででないにしろ、椎間板ヘルニアのような痛みを患うかもしれない。

雇用の数字や権利の問題で解決できない事態が、現場に生じていると観察できる。だけど、それを伝える人は少ない。大部分の人が目にするメディアは、すでに位置が違う。新聞は労働者を守るために報道しているのではなく、政権を交代させてたい一心で解雇を報道しているな、と僕は勘ぐってしまう。目的は政権交代、手段は解雇。

指摘のとおりだ。**「かなり保護された労働者と、保護されていない労働者の亀裂」**がある。保護された労働者が享受している事実を伝えられない。それらが集まって組織が形成されれば、こうなる。

良いか悪いかに関心を持っていない。衆を頼めば、こうなる。システムがそうなっている。保護されていない労働者は、保護された組織へ加入できるよう頼むか、あるいは、自分たちが行動するか。どちらの選択も、メッセージは政治。保護された組織は、加入を積極的に働きかけるか。消極的か。「政治家と労働者」の構図は成立しても、「労働者と労働者」の構図は描けない。否、描かない。意識的か。誰も虎の尾を踏みたくない。

昨日の、打ち合わせをしているとき、帰り際、相手の方が口にした。「来年度の予算は右肩上がりです」と。驚いた。数秒間、単語をリピートした。その間に、過去の自分を呼び出し、思考をトレースして、ようやく理解した。

前年対比で増収する予算、違う世界で活動する組織の現実は、まだ右肩上がりなのだろう。それは、労働者と労働者の中にも潜んでいるのかもしれない。

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