外に出た自分を見るのは誰

📅 公開: 2009-04-27

人間には自分の自由と不自由とを自覚し分別し煩悩する自由がある。これは他のいかなる存在ににも見られぬところである。その上、その分別性のゆえに、他の自由を尊重し、他の不自由を共感する。煩悩(この場合ボンノウとよまぬことにする)する。つまり人間には、自分の外に出てまた自分を見ることができるはたらきがある。このはたらきの故に、人間は、自分らの社会集団だけでなく、自分以外の他の生物でも無機物でも何でも一つにした絶大の社会集団を認めることができる。

『新編 東洋的な見方』 鈴木 大拙 P.69

この「はたらき」を見るのは誰か?を問い続けたい。問いなき固定は原理主義へ変容する。固着観念は強靱と脆弱の両刃を備える。