際際と瀬戸際

📅 公開: 2009-05-18

もし、いまだに勤めていたら「平均年収」ぐらいになっていた、と思う(せめて”平均年収ぐらいはないと”という人がいるらしいけど)。個人事業主になって瀬戸際を得た。

瀬戸際は、金の使い方を僕に教え、時間の概念を塗り替えた。瀬戸際に立ち、僕の身の回りを眺めると、見える色彩が変わった。12色のクレパスから24色へ。そして60色のクーピーペンシルを手に入れたかのよう。見えていなかったものたち。

瀬戸際は僕へギャップを教えてくれた。M先生が抱いたギャップとはほど遠い。僕のギャップは取るに足りない。誰かがここの写真へ言及する。それが評価なんだろうな。時折、???を質問される。質問の質問。一体何のための質問か。僕には単なる会話のつなぎとしか聞こえない。内容を咀嚼できない。反応できない。奇妙な感覚に襲われる。

心底憧れる写真はここ にあるし、これ なんかうっとりする。道具を超越した技術と感覚の領域。いつか追いつきたい。だから自分の写真なんてまったく自己評価していない。

ギャップは「評価」を再構築した。今は評価を気にしない。自分がコントロールできること、やらなければならないこと、死守しなければならないこと、それを見定め、それを淡々とこなしていく。こなしていくなんておおげさだけど。自分なりに「反省の無限」を続ける。評価より反省の無限。

他者の評価の基準は無限。もし、無限を把握できるなら、無限の評価を吟味しなければならない。それは不可能だ。ならば、他者の基準に一喜一憂するより、自ら「ゆらぎ」を創り、反省の無限の「仕方」を学ぶ。

瀬戸際は一期一会を教えてくれた。次があるかどうかわからない。それでよい。それが「緊張感」の意味を教えてくれる。いまだ躰に纏えない礼節。一度限りは不安を生み、不安は感性を研ぎ澄ますよう命令する。その命令を認知できていないから礼節を欠く。これでは僕の先はない。

瀬戸際は削ることを教えてくれた。足すよりも削る。削ぎ落とす。

瀬戸際は実践を教えてくれた。だから、今、「利益」の意味を説得できるし、「価格」の意味を説明できる。そして、「価値」を先生方といっしょに考えられる。

見下ろすよりも見上げる機会が増えた。