//に費やした時間とE-mailの終焉

📅 公開: 2009-10-18

WWW(=World Wide Web)を発明した Tim Berners-Lee 氏へのインタビュー記事。「インターネットを発明したころに戻れるとしたら、何を変えたいか」という質問に対して、同氏は、 “http://” の “//” を必要なかったとの回答。WWWを発明した時、いいアイデアに思えたが現在から振り返ると”//”なしで設計できたはず。”//” をタイプするために一体どれだけの時間を費やし、印刷のためにどれほどの木を伐採したのかと語っています。

“//”の意味を調べず、それがあることをあたりまえだと入力していましたし、今のネットが消費するエネルギーを計算すれば、微小な要素じゃないかなぁと感じました。それよりも発明への感謝が大。ただ、発明者の着眼と発想は全く異なるんですね。質問もクール。

“//” の入力に費やした時間に比べたら、電子メールに費やす時間のほうが気になります。というのも、電子メールって読まないのに着信してくるメールが多くありませんか?

1994年ごろからインターネットを使い始めて、数年後にはNifty(TTY)やメールが情報収集の手段でした。その当時、幅広い分野の情報量を読まなければって焦燥感があったので、関心の度数が低くても思わず「受信する」をクリック。Nifty(TTY)もPC系とビジネス系フォーラムを中心に自動巡回していました。

数をこなせば読み方が鍛えられ、見分ける力が養われ、結果、理解に必要なフレームが増えるから意見のバリエーションが増え、あたかも自分が賢くなった錯覚に self‐satisfaction していました。

ただし、数をこなすといっても、その数は少なかったはず。たとえば、5,000/日のメールを受信する人の話を何かで読みました。

ところが2004年頃からRSSに移行して、メールの活用は逓減していくけれど、受信量は変わらずの環境に疑問が。

メールをクリックしたり削除したりする時間とコスト

私のメール運用は単純です。

  1. 自宅サーバの迷惑メールはサーバで削除
  2. Google AppsのGmailの迷惑メールはGmailに依存
  3. 1.2とも迷惑メール以外のメールは自動振り分け

読まないメールはフォルダに蓄積されて二度とお目にかからない。未読数を気にしなくてよければ、この運用のままでOKでした。

でも、やっぱりだめ。気になります。メールの着信そのものが鬱陶しくなってきた。というのも、馬齢を重ねるごとにチャレンジしたい項目が増え、そうすると時間が最も貴重な要素になります。時間をつくるために身の回りの設計を見直し始めました。そこで真っ先にリストアップされたのが電子メール。で、以前からやらねばと思いつつ腰が重かった「メール着信の数を減らす」計画を年初からようやくスタートしました。そして、ほぼ終了。

メール環境の再構築

  1. ISPのメールを破棄
  2. メールアドレスを集約
  3. DMはすべて受信しない
  4. メーリングリストを退会
  5. メールマガジンを退会
  6. 1.-5.を実行した結果、着信メールは迷惑メール(といっても削除)とビジネスだけ

目的は、「メーラを起動する時間を極力なくす」です。SkypeやTwitter, blog を使えますから連絡手段はメールだけではありません。ただし、SkypeやTwitterも時間を必要以上に消費しかねないから、その点を注意しています。

流れてくる情報の質量を能動的にフィルタリングするより、一度、すべてを否定して、必要な情報だけ流れてくるように開放する。自分のライフスタイルを観察してきた結果、「流れてくる情報より、自分から調べた情報が知識へ変換しやすいので変換効率が高い」と判断できた。よって、Deny from All, Allow from xxx が自分の性質と合致しているようです。

電子メールといえば、「電子メール時代の終焉」は来るか:「メールを使わない人」が増加 していると指摘する記事が数年前から報じられています。傾向が事実かどうかに関心を持っていませんが、自分の行動から類推すれば、「メールを使わない人」の増加に得心がいきます。帰納は危険だけど。

iPhoneがライフスタイルを変えた

この記事とは裏腹に、僕は iPhone を手に入れてからライフスタイルが変わりました。あっ、iPhone じゃなくてもよいです :-X

なるほど、電子メールの寿命は伸びたけど、常時起動のアプリじゃなくバックアップへ降格したので、活用時間は最小単位へ押し込めました。

iPhone で自分からコミュニケーションツールへアクセする。誰かの言動はネットへ置いてあります。リアルの言動とネットの言動は時間のずれを持っているけれど、自分から必要に応じて誰かの言動へアクセスできる。

そんな生活のリズムが安定すると、電話やメールが失礼(って表現は適切じゃないかな)って感じてきて気が引けてくる。でも、ひとつわかったこと。”会う”を吟味できるようになった。”会う”がとても大切になりました。会わない機会が増えたから、流れてくる情報を遮断したから、自分から能動的に関与する要素を削減したから、”対話”の醍醐味を味わいたい欲望を常時保存できるようなってきた。対話への欲望はバックアップツールできませんから 😉